ジーザスはスーパースター

何かをつくる日記

ブログのこと

文章にせよ小説にせよ漫画にせよ、ものをかくという事の最大の目的は自分をゆっくりと肯定していくことだと思う。今日と自分があればいい、全く一人でいいという人はそんなものわざわざ書かないと思うので、自分を肯定しながらも誰も理解できないというものにはならず(まったく理解できないなら他人に理解できないものを作るという事実で)誰かしらの共感を得る。それがさらに肯定になっていく。

 

その時、自分を肯定するということと「わたしは悪くない!」と言い張ることは違うことだとだなぁと思う。肯定は自らの行動かまだ行動できないまでも前向きな思考でしか起こりえないが、悪くないっていうのは自分がビタイチ動く気がない時に起こる呪いの言葉だ。前者が「私が悪かった」というのは目覚めや再出発になりうるが、後者は誰かに悪くない事を認めさせたく、もっと悪いのは自分がそこから動いたら自分が認めたということだから動けなくなり、動いた事が傷になる。

 

なんかこのごろブログを書こうとすると、どうもこの私が悪くないが頭をもたげてくる。私は悪くないをなだめることもできるが、それは甘やかしてるだけなので消えることはなくまだ分別のない幼児のように何度でも喚いてくる。もっと深く潜って何を悪くないと思ってるのかを理解しないといけない。自分にかかった呪いは、自分で解かなくてはならない。