ジーザスはスーパースター

何かをつくる日記

ネームのこと

一年くらい前に切ったネームの漫画をいまだにダラダラと描いてるのだが、当時はホントになんとなーくこういうのがいいんじゃないかなーって感じで描いてたのだが、月日を経て今見ると当時なんでこういう話を描いたのかホントによくわかって、作画も終盤でもわかった上で直した方がいいのではないか?という気もするんだけど、やっぱり何もわかってないというのは強いもので、改めて見直すと私の画力と思いつく構図の中で最適な形をしている。ような気がする。

そして不思議なことに、このネームを何故描いたのかわかるような事が引き寄せられるように1年をかけてゆっくりと現実で起こる。目や記憶がちゃんと拾っているにもかかわらず心がわかってなかった事に、違う角度から光があたって見えるようなことが起こる。言うのもめんどくせーんだけどすぴりちゅあるとかそーゆーことじゃなくて、思い込みだったり、心に自分でブロックをかけているような事って存外あって、内側から開かない扉に自分がドンドン叩いて訴えているような事がなんとなくネームになって出てきて、それを確かめるように世界に耳が向いて足が動くのだと思う。

人間は自分の事をいい方に考える時も悪い方に考えるときも余程のことがない限り現状維持をするように考える。現状を受け入れられてるならいいが、大概は何かに目をつぶりどこかに鍵をかけてしがみつこうとする。その方が楽だからだ。だから自分を客観的に考えるのは難しい。キャラクターに置き換えるということのなせる技だなぁと思う。